キレイなプレス加工
資産価格の上昇からバブル退治が必要と見て金利を引き上げた結果、設備投資が減少し、資産価格が下落し、すべての面で支出が減少した。
90年以降、金利を下げていったが、設備投資は反応せず、実質GDPは1%以下で推移した。
この間、95年まで為替は円高方向に動き、95年4〜6月には一時は79円にまでそのような経路としては、銀行機能の低下、銀行機能の低下を考慮していない金融政策、実質賃金の上昇、緩慢なデフレスパイラル、資産の拘束、不況のもたらした誤った政策が考えられる。
もちろん、これらの経路は90年代の前半でも停滞をもたらす要因でもあった。
しかし、より重要な効果としては、長期の停滞をもたらすことである。
ここでは、基本的に第一の変動を扱い、90年代央までの経済停滞が金融政策によって引き起こされたことについては、すでに明らかにしたと考えている。
第二の長期停滞については、あとで扱うことにする。
ただし、銀行機能の低下は、金融政策と密接に関係しているので、この章の後半で扱う。
対応がきわめて難しくなるような金融政策のもたらす大停滞の経路以上の経過を見れば、金融政策によって80年代後半から90年代前半、あるいは97年までの経済変動は説明できるが、それ以降の長期停滞について、金融政策のチャンネルで説明することは難しいと考えられるかもしれない。
金融政策はショックであり、そのショックに、投資や資産価格や為替レートが反応するというものである。
そのショックの起点となる名目コールレートがゼロになったのに、ショックへの反応としての経済停滞が10年も続くということは考えにくいからである。
そこで、90年代、特に停滞を金融政策で説明するためには、ショックがボディーブローのようにあとから効いてくる、あるいは、ショックがほかのショックをもたらし、ほかのショックをもたらが必要となる。
その前に、98年の不況がなぜ生じたのかについて説明しておかなければならない。
以下、98年の不況は、金融システムとしての銀行機能の低下を前提としない誤った金融政策によって起こったことを説明する。
97年4月に始まった景気後退は、通説では、総額13兆円を上回る財政緊縮によって始まり、97年7月のアジア通貨危機、97年11月のT銀行(以下、T)やY証券の倒産など金融システム危機による家計・企業心理の冷え込みや貸し渋りを通じて深刻化した、とされている。
しかし、については、財政緊縮がなされたのは97年であって、98年ではないことを指摘しておかなければならない。
まず、実質GDPの成長率は、96年には3.4%、97年には1.8%、98年にはマイナス1.1%となった。
すなわち、本格的な景気後退は9ドイツ銀行証券のM氏のすばらしい分析(M〜2000〜)に沿って、98年の大不況がなぜ起こったのかを説明しよう(以下はM氏の許可を得て、要約引用させていただいて98年の大不況はなぜ起こったのか7年ではなくて、98年に起こったのである。
消費税引き上げ、年金保険料引き上げ、公共事業削減からなる一3兆円(対GDP比2.5%)の財政緊縮がなされたのはほとんど97年のことであるから、GDP比2.5%の緊縮財政ショックに対して、実質GDPは3.4%から1.8%へと1.6%ポイント低下したにすぎない。
すなわち、この単純な財政乗数は0.64(1.6102.5)である。
緊縮財政ショックはこれで大部分は終わっており、財政ショックが98年にマイナス1.1%成長となる理由ではありえない。
では、何が、97年の1.8%成長から98年のマイナス1.1%成長へとマイナス2.9%ポイントの成長率低下をもたらしたのだろうか。
のアジア通貨危機の影響はたしかに大きい。
98年の日本のアジァヘの通関輸出額は一7.9%、金額にして3兆8000億円も減少した。
これが、経済全体への波及効果を合わせて1%程度のマイナスをもたらした、ということはできるかもしれない。
しかし、それでもまだマイナス2.9%ポイントのショックは説明できない。
通説では、の金融危機の部分が強調され、金融システム危機は銀行の貸し渋りによって引き起こされたというのだが、本当にそうだろうか。
N銀行の意図しない引き締めが真の原因。
M氏は、貸し渋りは金融政策上の意図せざる引き締めというショックによって発生した副産物であると指摘する。
Tのような大きな金融機関が戦後はじめて倒産するというような非常事態に、N銀行は積極的な金融調節によって十分な準備を供給し、このショックを吸収すべきだった。
ゼロ金利政策は、99年2月ではなく、97年12月に導入されるべきであったというのである。
97年11月以降の意図せざる金融引き締めは、なぜ起こったのだろうか。
市中銀行は預金の一定割合をN銀行の当座預金に無利息で預ける準備預金をもたなければならない。
準備預金は、日銀貸し出しによって供給される借入準備と、買いオペによって供給される非借入準備からなっている。
97年11月に発生した金融機関の連続倒産(S証券=4日、T=106日、山一証券=2104日、T銀行=2106日)によって、S証券を除く金融機関に対して約4兆円の日銀特融が実施されたが、これは借入準備の増加となる。
日銀貸し出しは、97年10月の8342億円(平残)から、10一月には4兆7361億円に増加した。
当時、日本では超過準備はほぼゼロであったので、このような非常事態においても、借入準備の増加はほぼ一対一の関係で、非借入準備の減少(売りオペによる資金吸収)をともなった。
4兆円の資金供給が破綻金融機関に対して実施される一方で、そのほかの健全銀行は売りオペによって資金を回収され、資金不足に追い込まれた。
このことは、図に示されている。
97年末から借入準備は増加していたが、非借入準備は急速に減少していた。
この状況は、97年11月からさらに、金融システムの危機に対して、預金者は流動性を確保するのが常であり(たとえばたんす預金を増やす)、現金や当座性預金に対する需要が高まる。
この状況下で、N銀行が通常どおりに準備を供給するだけでは、金利には上昇圧力がかかる。
事実、ターム物(一カ月や2カ月物)金利と翌日物コール金利の差は拡大している。
N銀行は翌日物金利こそ安定させたが、当時のオペレーションではターム物金利の上昇を防ぐことはできなかった。
金融危機に対するアメリカと日本のちがいアメリカでも、金融システムに対する脅威となりうる金融機関の倒産が戦後6回発生したが、最初の4回(F・N銀行=74年10月、F・P銀行=80年4月、C・I銀行=84年5月、南部諸州での銀行の連続倒産=88〜89年)では、倒産銀行に対する連銀(アメリカ連邦準備制度理事会)特別貸し出し(日銀しかし、節によって十分な準備を供給し、コールレートの低下を容認することで、このショックを吸特融に相当する)の増加が非借入準備の減少(売りオペによる資金吸収)をともなっており、意図せざる金融引き締めが起こった。
しかし、その後の2回については、超過準備の増加(バンク.オブ.ニューイングランド=91年1月)あるいはFFレートの75ベーシスポイントの引き下げ(LTCM=98年10月)が行われた。
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